恋と言う言葉
恋という言葉は、自分には似合わないようで好きじゃありません。
さらに、それに愛をつけて「恋愛」って言葉になったら、もうお門違い感がすごいです。
キラキラした青春、ドラマみたいな青春みたい。
人を好きになったことはあります。
その現象は恋と呼ぶんだろうけど、「こい」っていう響きが、やっぱり気恥ずかしい感じもあります。
自分用語で、「こい」というのは「考えていた」っていう、ちょっと歯切れが悪いけど淡泊な感じがする言葉に置き換えようと思います。
考えていた時期もあります。
ポエマーぶるのが好きだったから、沢山その人についての詩もできました。
今見返すと、「くそったれ」と思ってしまう。
その人は、今、おそらくは私のことなど気にかけていないかもしれない。
あるいは、嫌いかもしれない。
嫌い、という言葉をつかえるのは、きちんと、それなりに解釈できる出来事があったからです。
拡大解釈かもしれないけどね。
その人のツイッター、知ってました。
ヘッダー、あんまり変えない人です。
でも、私との、何かがあった日に、変わってた。(これは自意識過剰かもしれないけど)
あと、大切なことは隠す人だと思います。
お仕事のこと、Twitterではほとんど言っていなかったように思います。
でも、僕が言い当ててから、おおやけにし始めたような気がします。
もしかすると、本当にこれはただの偶然かもしれないですが、もし偶然でなかったなら、良くも悪くも、自分は彼に、なにかしら影響したのだと思います。
けれど、それは嬉しいこと、とは絶対に言い切れないと思います。
好きの反対は「嫌い」ではなく、無関心
よくきく言葉です。
ああ、影響をあたえている。好きの反対の、無関心じゃない。
そう、ポジティブには捉えれないかもしれません。
嫌いなら、嫌いっていう感情は、彼の中にあるのかもしれません。
嫌いであるから、どうしても自分のことを意識して、その、何かがあった日に、行動をおこしてみたりする。
もしかしたら、そうなのかもしれません。
すべて、自意識過剰なだけかもしれないですが。